筑前国(現在の福岡市)出身。親族の経営する炭田開拓に携わり、少しずつ所有する炭鉱を増やし、麻生家、貝島家と並び「筑豊御三家」と呼ばれるまでに会社を成長させました。1908(明治41)年には所有する炭鉱を合併して明治鉱業を設立し、その後も次々に事業を拡大し安川財閥を築きます。八幡製鉄の誘致にも熱心に協力しました。北九州の重化学工業の発展の基礎を築き、九州の商工振興にも大きく寄与した実業家です。
安川先生は事業の成功によって莫大な財産を築きながらも、財産は自分のために使うものではなく、国家公益のために活用すべきものと考え、破格の資金を投じて1909(明治42)年に工業技術者を育成する明治専門学校(現・九州工業大学)を開校します。その翌年1910(明治43)年には、この学校の教員子弟のための学校として明治専門学校附属尋常小学校を開校しました。この小学校が私たち明治学園の原点です。